ごちゃまぜの環境が「知る」につながる
私は「よくわからない」という感覚になってしまっている原因の一つに、学校教育があるのではないかと考えています。
これまでは「分ける教育」が行われてきました。
普通学級と特別支援学級に分ける。
普通の学校と障がい児の学校を分ける。
この「分ける」ことが、「あの人たちは自分たちとは違う」という認識を生み出しているのではないでしょうか。
分けることがいけないと言いたいのではありません。
何かしらのハンディがある子どもにとって、専門的にサポートを受けるのは必要なことです。
将来、社会の中で生きていくために必要な技術を身に付けることも、大切なことでしょう。
また身体のケアに人一倍気を遣いますから、そのためのサポートも必要でしょう。
そうした状況を整えるために、専門の学校があるのですから、分ける必要があることも納得できます。
けれども、分けることで失われることにも目を向けてみましょう。
それは「知る機会」だと思うのです。
知らないということは、「ない」のと同じです。
つまり、「存在していないのと同じ」だと思うのです。
社会にはさまざまな人がいる、ということを認識することが、多様性の第一歩だと考えています。
そのためにどうすればいいのか。
まずは「知る」ことなのではないでしょうか。
そのママさんは、「ごちゃまぜの環境を作りたい」と言っていました。
健常児も障がい児も、みんながごちゃまぜで楽しめるように、イベントなどさまざまな場を作っています。
ごちゃまぜの環境が、お互いを知るきっかけになっているそうです。
「ごちゃまぜっていいな」
とてもすばらしい活動だと思います。
私は「よくわからない」まま大人になり、今でも接点がありません。
もし、子どものころに学校で日常的に接する機会があったら、もっと自然な印象を持てていたかもしれません。
子どもは柔軟です。
「そばにいろいろな人がいることが自然」という環境にいれば、きっと子どもたちなりに違いを理解し、どう接するとお互いに心地よいのかを考えるようになると思うのです。
障がい児が成長し、地域の中で生きていく将来のためにも、地域にこんな子がいるよという情報を、地域の人が知る機会が必要です。
インクルーシブ教育がそのための一助になることを願っています。